伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説!

1. 伊藤 若冲を売りたいお客様へ

伊藤若冲は江戸中期に活躍した画家です。1716年に、京で生を受けました。1738年に家督を継ぎましたが、商売にはあまり熱心ではなく暇を見つけては絵を描きつづけていました。 絵を始めた当初は狩野派から技法を学んでいましたは、自分の画法を築きたいと独立。画家として独立した以降はひたすら写生を行い、1758年頃から10年かけて完成させた「動植綵絵」は美術史に残る傑作として名高い作品です。 明治時代には不当に評価が低い時期もありましたが、20世紀後半ごろから人気が再燃。近年知名度と共に人気が高まっている画家の一人です。

2伊藤 若冲についての解説

伊藤 若冲は1716年、京都で生まれ活躍した画家です。巧みな写実技術だけでなく、奇抜な想像を組み合わせた独自の画風は同時も人気が高く、名声を得ていました。 青物問屋の長男としてうまれ、22歳の時に父の死去のため家督をつぎましたが、商売には関心がなかったとされます。また酒や芸事、恋愛などの世間の雑事にも興味がなく、ただ絵を書きたいという思いしか無かった人物だと言われています。 家業のかたわらに筆を握り、絵を本格的に学び始めたのは30歳を過ぎてからでした。当時主流だった狩野派の技法を学びましたが、自分の画風には合わないと塾をやめ独学で腕を磨き続けました。寺院に通い多くの模写を残していますが、最終的には目の前の対象を射精する写実描写様式を完成させました。 84歳で死去するまで生涯絵を描き続け、当時のみならず現代でも人気のある画家です。

3. 伊藤 若冲の歴史

1716年京都で青物問屋の長男として生まれました。字は景和。号として若冲、斗米庵、米斗庵などがあります。1738年22歳の時に家督を継ぎ、本格的に絵を始めたのは30歳を過ぎてからです。当初は狩野派を学んでいましたが、独立。独学で絵を描き続けました。 1755年に39歳で家督を弟に譲ると、本格的に画家としての生活をスタートさせました。弟は兄の画家としての道を支持し、経済面から兄を支えたとされます。 寺院などの模写を約1,000枚以上行ったところで若冲は「原型をこえることできない」という限界を感じ、目の前の対象を写生することで真の姿を描こうとしました。その後数年かけてあらゆる生き物を自在に描けるようになった若冲は1758年から10年の歳月をかけて「動植綵絵」を完成。その名を不動のものとしました。1800年、84歳で死去。

4. 伊藤 若冲の代表作や作者

「動植綵絵」    三の丸尚蔵館 1760年頃 「竹図襖」     鹿苑寺    1759年 「仙人掌群鶏図」  西福寺    1789年

5. 伊藤 若冲の買取査定ポイント

伊藤若冲の真作であるかどうかが重要なポイントとなります。数多くの傑作を残している若冲の真作であれば高額になる可能性はかなり高いでしょう。その人気の高さから贋作も出回っているため確かな証明書や鑑定書がないと、査定額が低くなる可能性があります。 また保存状態が良いか、箱はあるかなどの骨董品の査定ポイントもあてはまります。
  • 伊藤 若冲の真作か(証明書や鑑定書はあるか)
  • 保存状態は良好か(箱はついているか)
  • 大きさはどれくらいか

6. 伊藤 若冲の取引相場価格

伊藤若冲は人気があるため、複製、模写でも10万円程度が相場になっています。伊藤若冲の掛け軸の真作ですと数百万円の値が付く可能性があります。そのため真贋鑑定がなされていないものでも、約40~50万円の相場となっています。また箱がついており保存状態が良ければ100万程度の値がついたこともあります。

7. 伊藤 若冲の買取についてのまとめ

江戸中期に活躍した画家、伊藤若冲。世間の雑事にとらわれず、ただひたすら己の絵のみを描き続けた彼の作品は現代でも人気があります。その高い描写力で生き物の本質を表し、姓名そのものを描いた若冲の作品は多くの人々を魅了し、美術館や寺院で今も人々を楽しませてくれています。 そんな若冲の人気故に掛け軸は多く贋作も出回っていますが、真作と鑑定されてば数百万円の値がつく可能性もあります。