小泉 淳作(こいずみ じゅんさく)を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説!

1.小泉 淳作を売りたいお客様へ

小泉 淳作は昭和に活躍した日本画家・陶芸家です。東京芸術大学日本画家を卒業したのち、最初はデザイナーや陶芸家として活動していました。日本画家として注目されはじめたのは1970年代半ばになってからです。どの派閥にも属さず、個性豊かな力強い描線が特徴の画家です。リアリズムを追求すべく徹底的な写生を行いました。小泉 淳作の最も有名な作品は建仁寺・建長寺の天井画であるとされています。ただ日本画や水墨画などが多く描いていますが、掛け軸は数が少ないためお値段がつきにくくなっています。

2. 小泉 淳作についての解説

小泉 淳作は政治家の小泉策太郎の七男として生まれました。音楽・美術・文芸など様々な分野の人々と交流をし、芸術への興味を深めていきまいた。東京芸術大学に入学すると山本丘人に惹かれて師事。戦時中でもあったため、芸術への風当たりは強いものでした。しかしその間も絵を研究することを辞めず、作風や作家にこだわらず色々な作品を見学していたとされています。その後、生活していくためにデザイナーを始め、のちに陶芸へと興味をうつしていきました。そして小泉が日本画家として活躍するようになったのは、1970代に入ってからだとされます。写生を徹底し、リアリズムを追求した作風は評判を呼び、建仁寺・建長寺において龍を描くという大仕事を成し遂げました。

3. 小泉 淳作の歴史

小泉 淳作は1924年神奈川県鎌倉市で生を受けました。父親は政治家あった小泉策太郎、弟に俳優の小泉博がいます。5歳の時に母を、13歳の時に父を亡くしました。約5,000坪という大豪邸の中で、家族とではなくお手伝いさんと書生の間で暮らした日々は小泉 淳作の心に深く刻まれたとされます。芸術に興味を持っていた小泉 淳作は東京芸術大学へ進学。山本丘人に師事し、1952年に卒業しました。卒業後は生活のためデザイナーとして就職。北海道のお土産として有名な六花亭で使用されている包装紙などをデザインしました。その間も日本画は書き続け、本格的に注目されはじめたのは1970年代半ばからです。最も有名な作品として挙げられているのは建仁寺・建長寺の天井画を描いたこととされます。2012年、肺炎のため死去。

4. 小泉 淳作の代表作や作者

「山を切る道」   1977年 「新雪の鳥海山」  1994年 「雲龍寺」     2000年 「双龍図」     2001年

5. 小泉 淳作の買取査定ポイント

まずは小泉 淳作本人の作であるかどうかが重要なポイントです。本人の肉筆画であるかどうかは落款印や署名などで見分けます。証明書や鑑定書があれば高値になる傾向にあります。また保存状態が良いか、箱があるかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 掛け軸にはいくつか代表的な査定ポイントがあります。 以下のポイントをチェックしていただくと、自分の持っている掛け軸にどの程度お値段がつくのかの指標になります。
  • 小泉 淳作本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 落款印(引首印)がある
  • 作者の署名がある
  • 保存状態は良好か(シミやシワなどの汚れがない、箱が残っているかなど)
  • 尺はどれくらいか(大きさの確認)
  • 表装の修復がなされていないこと

6. 小泉 淳作の取引相場価格

小泉 淳作の掛け軸は非常に珍しいため、市場に出回ることはほとんどありません。ただし人気の図柄は複製画である銅版画などが作られています。建仁寺・建長寺に描かれた「双龍図」や「雲龍図」などは人気があり、銅版画でも約20万~36万円の値がついています。もし真作の肉筆画であればこれより高値になると思われます。

7. 小泉 淳作の買取についてのまとめ

どこの派閥にも属さず、自らの画風を貫いた孤高の画家、小泉 淳作。ただ彼自身は「それほどかっこいいことでは無いからだ」と孤高の画家と呼ばれることを好んでいなかったと言われます。徹底的な写生から生まれるリアリティな絵柄は今にも動き出しそうで、その作風から建仁寺・建長寺の天井画を描く絵師に選ばれました。日本画家としてだけでなく、デザイナー・陶芸家としても活躍しました。 そんな小泉 淳作の作品は現代でも人気があり、もし肉筆画であれば高値が付く可能性があります。