北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん)を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説!

1. 北大路 魯山人を売りたいお客様へ

北大路 魯山人が1883年に生まれた日本の芸術家です。画家のみならず、篆刻家、陶芸家、書道家、漆芸家、美食家、料理家など様々な分野で活躍しました。日本画家を志しつつも、書や篆刻でその生活をまかなっていたため、やがてそちらを本業とするようになりました。1919年に骨董店「大雅堂芸術店」を開店。このころから作陶も行うようになりました。特定の師を持たず、独学で作られた作品はどれも独創的であり、多くのファンを獲得しています。しかしながら掛け軸はあまり描いておらず、お値段はつきにくくなっています。

2.北大路 魯山人についての解説

北大路 魯山人は明治から昭和にかけて活躍した芸術家です。初めは書家として有名でしたが、その他絵画や陶芸のみならず、料理や骨董などにも興味を持っていました。1919年には東京で「大雅堂芸術店」という骨董店を開店。このころから料理に適した食器を求めて自ら陶芸を開始したとされています。1921年には美食倶楽部、1923年には星岡茶寮を営みました。特定の師を持たず、多種の技法を習得し、様々な古陶を再現したと言われています。1955年には人間国宝に認定されていましたが、辞退しています。

3.北大路 魯山人の歴史

1883年京都府京都市上賀茂(現京都市北区)に生まれました。本名は北大路房次郎。10歳の時、千坂和薬屋に丁稚奉公に出ます。このころ日本画の巨匠、竹内栖鳳の絵を見たことから絵画に対する興味を持ち始めました。1896年に奉公をやめ進学を望みますが経済的な問題もあり断念。養父の木版の手伝いをしながら篆刻などの基礎を身に着けました。また書にも非凡な才能をみせ、15歳のころには書で稼いだお金で絵筆を買う足しにしたとされています。その後上京し当初は書家として活躍。美術展覧会に出品した書が褒状一等二席を受賞しました。1916年ころから北大路 魯山人の号を使い始め、料理や作陶に興味を持ち始めたとされます。1955年に人間国宝に指定されましが辞退。1959年に肝硬変により死去。享年76歳。

4.北大路 魯山人の代表作や作者

「志野若草文四方皿」 1940年 「白地金襴手碗」   1941年 「織部鳥文角鉢」   1951年

5.北大路 魯山人の買取査定ポイント

まずは北大路魯山本人の作であるかどうかが重要です。北大路 魯山人はその知名度の高さから贋作も多く作られているためです。真作かどうかは落款印や署名などで見分けることが可能です。また箱があるか、保存?態は良いかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 掛け軸にはいくつか代表的な査定ポイントがあります。 以下のポイントをチェックしていただくと、自分の持っている掛け軸にどの程度お値段がつくのかの指標になります。
  • 北大路 魯山人本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 落款印(引首印)がある
  • 作者の署名がある
  • 保存状態は良好か(シミやシワなどの汚れがない、箱が残っているかなど)
  • 尺はどれくらいか(大きさの確認)
  • 表装の修復がなされていないこと

6.北大路 魯山人の取引相場価格

北大路 魯山人の掛け軸は数は少ないですが、主に書を残しています。肉筆をされているもので、鑑定書がないものは数千円~1万円ほどです。1万円のものは和歌が記された書で、136cm×29.5cm、書の部分が62.5cm×20.5cmのもので箱付きです。鑑定書がついていればもっと高値になる可能性もあります。

7.北大路 魯山人の買取についてのまとめ

北大路 魯山人は多岐に渡る分野で活躍した芸術家です。当初は書家として名声を得た後、陶芸、料理に傾倒。美食家としても名を馳せました。特定の師を持たず、自然界の美しさそのものを師としたとされ、生涯をかけてそれを再現することに注力しました。日本の伝統の美を取り入れながらも独自の作風を活かした作品は日本のみならず海外でも高い評価を得ました。 掛け軸の作品は多くは残されていませんが、その独特の生き方と作品には今もなおファンがいる作家です。もし真作で鑑定書があれば高値になる可能性があります。