小村 雪岱(こむら せったい)を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説!

1.小村 雪岱を売りたいお客様へ

小村 雪岱は大正から昭和にかけて活躍した日本画家です。その他、版画家・挿し絵画家・装飾家として多彩な才能を発揮しました。化粧品メーカー「資生堂」独特の書体「資生堂書体」も彼がデザインしたものとして有名です。また小説家・泉鏡花の「日本橋」の装丁をした人物でもあります。まるで浮世絵のような控えめな線を多用した画風で、特に女性を得意としました。雑誌や小説、新聞などの挿し絵も多く手がけており、当時の多くの人々の目を楽しませていた画家です。現在でも人気のある作家であり、挿し絵や版画、日本画などは多く残していますが、掛け軸は数が少ないためお値段がつきにくくなっています。

2.小村 雪岱についての解説

小村 雪岱は江戸情緒が残る川越の街で育ちました。そのおかけが、小村 雪岱の画風は伝統的な浮世絵を思わせながら、モダン的な印象を受けます。16歳の時に画家を志し、日本画家荒木寛畝に師事。その後東京美術学校日本画家にて、下村観山の教室に入った小村 雪岱は古画の模写や風俗考証学なども学んだとされています。1907年に小説家の泉鏡花と出会い、1914年には泉鏡花の小説の装丁も行いました。また鏑木清方、里見弴などの装丁や挿し絵なども手がけたとされます。日本画や版画の分野のみならぶ、舞台美術でも活躍しました。独自の世界観を発揮し、「忠直卿行状記」や「大菩薩峠」など数多くの作品を手がけたとされます。

3.小村 雪岱の歴史

1887年埼玉県川越市に生まれました。本名は泰助。父が4歳の時に病死し、母も離縁されたため幼くして両親を失いました。その後は伯父であった小村万吉に預けられることとなります。1900年に坂戸小学校高等科を卒業し、翌年神保町にあった叔母の家で寄宿を始めます。1903年に日本画家荒木寛畝の元へ入門し、1904年に東京美術学校に入学しました。 卒業後は國華社に入社しますが2年で退社。その後泉鏡花と出会い、彼の小説の装丁を手がけることとなりました。1914年の「日本橋」を始め数多くの作品の装丁や挿し絵を行います。1918年に資生堂に入社し、化粧品の広告を手がけますが1923年には退社。1924年からは「忠直卿行状記」など舞台美術を手がけています。1933年からは新聞小説「おせん」の挿し絵を開始し、これが挿し絵の代表作と呼ばれることとなりました。1940年に脳溢血のため惜しまれつつ逝去。享年53歳。

4.小村 雪岱の代表作や作者

「雪の朝」     1941年 「おせん すすき」 1941年 「夜の雨」     1943年

5.小村 雪岱買取査定ポイント

小村 雪岱は人気作家のため贋作や印刷物も多く出回っています。そのため、まずは小村 雪岱本人の肉筆画であるかが重要な査定ポイントとなります。落款印や署名などで本人のものと判断し、さらに証明書や鑑定書があれば高値がつく傾向にあります。 また保存状態が良いか、箱はついているかなど一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 代表的な査定ポイント 掛け軸にはいくつか代表的な査定ポイントがあります。 以下のポイントをチェックしていただくと、自分の持っている掛け軸にどの程度お値段がつくのかの指標になります。
  • 小村 雪岱本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 落款印(引首印)がある
  • 作者の署名がある
  • 保存状態は良好か(シミやシワなどの汚れがない、箱が残っているかなど)
  • 尺はどれくらいか(大きさの確認)
  • 表装の修復がなされていないこと

6.小村 雪岱の取引相場価格

小村 雪岱の掛け軸は市場に出回ることが非常に珍しくなっています。また人気の作家のため贋作も多く、真筆保証(鑑定書無し)のされていない掛け軸は数千円程です。小村 雪岱の手がけた泉鏡花の装丁本に約15万円の値がついていますので、もし人気の美人画の掛け軸であればこれ以上の高値が付く可能性があります。

7.小村 雪岱の買取についてのまとめ

伝統的な浮世絵の雰囲気を残しながらも、どこかモダンな独特の画風は「昭和の春信」とも称される程でした。その活躍は日本画のみならず、版画や挿し絵、舞台美術など多岐に渡ります。彼の手がけた「資生堂書体」は今でも入社1年目の資生堂のデザイナーがデッサンを受け継いでいます。また新聞小説「おせん」の挿し絵を手がけたことにより、彼の名は全国に広まることとなりました。 そんな小村 雪岱は現代でも人気があり、真作の肉筆画であれば高値がつく可能性もあります。