朝倉文夫(あさくら ふみお)を高価買取!彫刻作家の査定ポイントを徹底解説!

1. 朝倉文夫を売りたいお客様へ

朝倉文夫は明治から昭和期にかけて活躍した日本の彫刻家です。「東洋のロダン」とも称され、数々のモダンな作品を生み出したことで知られています。精密な写実彫刻を基本とし、裸婦像や肖像など秀作を残しました、また猫をこよなく愛しており、よくモチーフに用いていました。驚異的な量と質の作品を残しており、「自然主義的写実主義」といわれる作風を確立した作家でもあります。 現代でも素晴らしい彫刻品を生み出した作家として注目されています。

2. 朝倉文夫についての解説

朝倉文夫はその技術の高さから「東洋のロダン」とも呼ばれ、数多くの秀作を残した彫刻家です。娘は舞台芸術家・画家の朝倉摂であることから、芸術一家としても知られています。驚異的な量の作品を残したことでも有名で、ある貿易商から動物の像の製作を依頼されたときは、1日に1体のペースで製作をすすめ、大学在学中に1,200体もの像を製作したという逸話が残っています。首席で美術学校を卒業すると、その後は彫刻会の重鎮として活躍しました。 大正8年に帝展審査員と、同10年に東京美術学校教授、同13年に帝国美術院会員、昭和23年には文化勲章を授与されています。

3. 朝倉文夫の歴史

朝倉文夫は1883年大分大野郡上井田村(現豊後大野市朝地町)当時村長であった渡辺要蔵の三男として生まれました。19歳の時旧制竹田中学校を中退し、既に彫刻家として活躍していた兄を頼って上京します。彫刻に魅せられた朝倉文夫は必死の勉強の末、東京美術学校へと入学。彫刻製作へと没頭します。在学中に1,200点もの作品を制作し、1907年に首席で卒業します。そして1910年に最高傑作といわれる「墓守」を発表します。初期文展で受賞を重ね、1916年以降文展・帝展の審査員をつとめました。1921年から1944年まで東京美術学校の教授をつとめたほか、1924年には帝国美術院会員となり1937年帝国芸術院会員となり、48年文化勲章を受章します。 1964年81歳にて死去。

4. 朝倉文夫の代表作や作者

「墓守」    1910年 「特の流れ」 1917年 「大隈重信像」 1932年

5. 朝倉文夫の買取査定ポイント

まず朝倉文夫本人の作であるかが重要です。鑑定書や証明書があると尚良いでしょう。そして保存状態は良好か、箱はあるかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 代表的な査定ポイント
  • 朝倉文夫本人の作であるか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 作者の署名(銘)があるか
  • 保存状態は良好か(欠けがないか。箱が残っているかなど)

6. 朝倉文夫の取引相場価格

朝倉文夫は数多くの作品を残しているので、まずは本物であるかが重要です。そして大きさなどによっても取引価格は大きく変わってきます。 例えば高さ38cm、台幅11.2×12.3cm、重量4.2kgの「大隈重信銅像」は約10万円の値がつきました。こちらは箱なし、鑑定書なしの価格です。また満州事変の記念品として満州鉄道が贈った「青銅製装甲自動車置物」は約8万円でした。高さ11cm、幅10cm、奥行22cmで、木製ケースがついていますがこちらは原型製作のみが朝倉文夫ということで、価格は控えめとなっています。

7. 朝倉文夫の買取についてのまとめ

朝倉文夫はその技術の高さから「東洋のロダン」とも称された明治から昭和期にかけて活躍した日本の彫刻家です。非常に多くの作品を残し、「自然主義的写実主義」という作風を確立した作家としても知られています。また動物を愛し、特に身近にいた猫をこよなく愛しました。多いときには自宅に約15匹の猫を飼い、猫をモチーフとした作品も残しています。 現代でも注目される彫刻家の朝倉文夫の真作、さらに人気のモチーフであれば高額査定の可能性もあります。