富永直樹(とみなが なおき)を高価買取!彫刻作家の査定ポイントを徹底解説!

1. 富永直樹(とみなが なおき)を売りたいお客様へ

富永直樹は1913年生まれの日本の彫刻家です。代表作として文部大臣賞を受賞した「平和の叫び」などがあります。また三洋電機に在籍し、インダストリアルデザインの祖としても活躍しました。黒電話4号機や日本初のカラー電話、家具調テレビのデザインも行っています。写実をもとに、理想化を加えた人物像を多く制作しました。 多くのヒット商品にも関わっており、現在でも注目される作家の一人です。

2. 富永直樹(とみなが なおき)についての解説

富永直樹は長崎県生まれの日本を代表する彫刻家です。また数々のインダストリアルデザインを手がけ、国内における大きな発展に貢献してきた作家と言われています。幼い頃より彫刻に興味をもち、彫刻家になる夢を抱いていたとされます。 東京芸術大学彫刻科塑像部を首席で卒業すると、自らの作品作りに没頭します。在学中の1936年に文展で初入選を果たして以降、官展に出品を重ねます。数々の賞を受賞し、その功績から1984年に文化功労者となり、1989年には文化勲章を受賞しています。

3. 富永直樹(とみなが なおき)の歴史

富永直樹は1913年長崎県長崎市に生まれます。1926年長崎中学校に入学し、同郷の彫刻家の官展出品作品を見て彫刻に興味を抱きました。1933年東京美術学校彫刻科塑像部に入学し、主に北村西望に師事します。1936年「F子の首」で文展に初入選。1938年同校を卒業後、彫刻科研究科に進学、1940年に卒業します。1950年第6回日展に「殊勲者」を出品し、特選を受賞。1951年に「山」で2年連続、さらに1952年には「主将」で3年連続特選を受賞するとともに朝倉賞を受賞するなど快挙を成し遂げます。1953年日展審査員、54年同会員となります。同展が社団法人となって以降も出品を続け、1962年評議員、1973年理事に就任します。また長年、三洋電機のデザイン部門で常務を務めるなど企業人としての一面も持っていました。2006年、92歳にて死去。

4. 富永直樹(とみなが なおき)の歴史の代表作や作者

「トーマス・ブレーク・グラバー之像」 1961年 「平和の叫び」  1968年 「新風」 1971年

5. 富永直樹(とみなが なおき)の歴史

まずは富永直樹の真作であるかどうかが重要な査定ポイントです。また箱は残っているか、保存状態は良好か、素材は何かなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 代表的な査定ポイント
  • 富永直樹の真作であるか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 作者の署名(銘)があるか
  • 保存状態は良好か(欠けがない、箱が残っているかなど)
  • 大きさはどれくらいか

6. 富永直樹(とみなが なおき)の取引相場価格

大きさや素材によって価格は大きく異なります。例えば金彩のブロンズ像「パリ-祭」は約25万円の値がつきました。こちらは幅 310× 奥行き24 × 高さ7.45 (cm)で、合箱付き証明書付属のものです。 また高さ 59.5 × 幅 17.5 × 奥行 16 cm、重さ 12.3kgのブロンズ彫刻「クスコの少女」は約11万円です。こちらは証明書付きになっています。

7. 富永直樹(とみなが なおき)の買取についてのまとめ

富永直樹は、日展を主な舞台として活躍した彫刻家です。幼い頃より彫刻に興味をもち、東京芸術大学に進学し、同郷の北村西望に師事し彫刻を学びます。数々の作品を生み出しながら日本芸術院賞や、勲三等瑞宝章文化勲章、長崎県名誉県民顕彰など様々な賞を受賞しました。またインダストリアルデザインの草分けとしても知られており、国産4号電話機は不朽の名作と讃えられています。 日本を代表する彫刻家であり、真作であれば高額査定の可能性もあります。