宮崎県で骨董品・美術品の買取なら「SATEeee骨董品・美術品買取」にお任せ!

1.宮崎県で骨董品を売りたいお客様へ

代々芸術を愛した都城島津家の影響か、宮崎県は白谷卜斎を始めとして、数々の日本画家を輩出している地。また、昭和初期を代表する画家・佐伯祐三と関わりの深い山田新一や横手貞美ら高名な洋画家も宮崎県から生まれています。それだけに、宮崎県は芸術を身近にする土地がら。宮崎県ゆかりの作家の手による日本画や洋画を楽しんでいるという、お家も多いはずです。「SATEeee骨董品・美術品買取」はそんな絵画を出張査定・高価買取。最近飾っていないとか、家の雰囲気に合わなくなったとか、そんな絵をお持ちなら、ぜひご連絡をお願いします。 家をリフォームするとか、蔵を壊すとか、そんな時に出てきた骨董品や古道具。これも私たち「SATEeee骨董品・美術品買取」が探しているもの。銀瓶や鉄瓶といった茶道具や刀剣や鎧などの武具、金工細工や彫金など、ぜひ一度見せてください。「価値があるのかどうかわからない」、そんなものでももちろん大丈夫。ぜひお気軽に、ご利用ください。 そして近年、人気上昇中の中国や西洋のアンティークたち。「SATEeee骨董品・美術品買取」が大得意としているもの。最新の市場価値と私たちならではの販路で、高額査定を実現しています。こちらもぜひ一度、お声掛けください。宮崎県ほぼ全域にわたって、出張査定をいたします。

2.宮崎県に関連する美術作家・人物

名前:長峰 探隠

出身地:宮崎県都城市

江戸後期に活躍した画家。 1785年に生まれ、都城領主・島津久倫の命で、鹿児島の鍛冶橋狩野派・山路探溪の下で画を学び、御記録方絵師に就任。1846年からは、島津久本の命で、江戸で鍛冶橋狩野家の当主・狩野探淵の門下となりました。絵師としてだけでなく武人としても名前が通っており、神人流薙刀三法を修得しているほか、俳人としても高名。都城島津家で最初のお抱え絵師・白谷卜斎の「太閤図」を模写したことでも知られています。

名前:中原 南渓

出身地:宮崎県都城市

幕末から明治期にかけて活躍した日本画家。 1830年生まれ。領主である島津久静に画才を見込まれ、鹿児島の鍛冶橋狩野派の下で学び、都城島津家の絵師となりました。同じく島津家に仕えた画家・長峰探隠以来の名人とうたわれ、宮崎県都城市を拠点に数々の作品を制作、明治期になると展覧会にも積極的に出品しています。中原の作品で話題となっているのが西郷隆盛の肖像画。名人の作品だけに、最も本人に近いのでは? といわれる一枚です。

名前:益田 玉城

出身地:宮崎県都城市

明治から昭和期にかけて活躍した日本画家。 1881年に生まれ、東京美術学校を卒業の後、川端画学校や女子美術学校で後進の育成に当たりました。一方で、自身も積極的に展覧会に出品。1915年の文展で初入選を果たすと、帝展にも数多く入選、1931年には無鑑査推薦となっています。浮世絵や大和絵を主に手がける一方で、美人画の作品も残しており有名です。益田の作品は現在、故郷の都城市立美術館に数多く収蔵されています。

名前:山内 多門

出身地:宮崎県都城市

明治から昭和期にかけて活躍した日本画家。 1878年に生まれる。中原南渓の下で狩野派を学び、同郷の益田玉城とともに1899年に上京。川合玉堂や橋本雅邦に入門し、1900年に共進会で初入選し、画壇にデビュー。その後は国画玉成会や二葉会で重責を、帝展で主任審査員を務めるまでになりました。1932年に死去。代表作に東京国立近代美術館「日光山の四季」や聖徳記念絵画館「明治5年中国西国巡幸鹿児島着御着」など。

名前:弥勒 祐徳

出身地:宮崎県西都市

1937年に生まれ、教員を務めていましたが、1947年に三納青年学校の美術部顧問となったことをきっかけに、本格的に日本画に取り組み始めます。1952年に宮日総合美術展で初入賞、1969年に宮崎県美術展で最優秀賞を受賞しています。通じて、宮崎県に腰を落ち着けて活動している日本画家ですが、創作意欲は旺盛。個展の回数は優に100回を数え、1983年には個人美術館「弥勒美術館・神楽館」をオープンさせています。

名前:山田 新一

出身地:宮崎県都城市

主に昭和期に活躍した洋画家。 1899年に台北市で生まれ、旧制中学の5年間を都城市で過ごし上京。川端画学校で佐伯祐三と出会うと、ともに東京美術学校へ入学します。1924年に佐伯がパリへと渡ると、山田も1928年に渡仏。間もなく佐伯は客死しますが、山田は残りサロン・ドートンヌなどで活躍します。戦後は日展で最高賞を受賞するなど、画壇で重きをなし、1964年には日展評議員を務めるまでになりました。1991年、92歳で死去。

名前:横手 貞美

出身地:宮崎県宮崎市

大正期に活躍した洋画家。 1899年に生まれ、中学のころフランス人図画教師の指導で絵画に興味をもつと、卒業後に上京。小林萬吾の同舟社や本郷絵画研究所で絵を学ぶと、1927年に佐伯祐三を頼ってフランスへと渡りました。その後、ともに制作をおこない、佐伯の影響が強い作品を手がけるようになりましたが、1928年に佐伯が死去と共に自身の画風を探求。しかし、自身も1930年に体調を崩し、翌年31歳のときにパリで死去しました。

名前:塩月 桃甫

出身地:宮崎県西都市

大正から昭和期の洋画家。 1886年に生まれ、宮崎師範学校を経て、東京美術学校を卒業。教員を務めるかたわら、1916年に文展に初入選をはたしました。その後、台湾に渡り、1927年に台湾総督府美術展を創設、美術の振興に尽力しました。戦後は故郷で創作に打ち込み、1951年からは宮崎大学で教員となっています。代表作に宮内庁「蕃人舞踊団」や宮崎県立美術館「舞妓」など。作品同様ユニークな風貌でも知られた人物です。

名前:日高 康志

出身地:宮崎県日向市

1951年に生まれると18歳ごろから、日向市立美術研究所でデッサンを学び、1973年に上京。二期会理事長を務めた画家・宮永岳彦の内弟になる一方で、1976年から二期会に連続して入選。東京二紀賞や東京二紀奨励賞を受賞するなど実績を積み続けています。華麗でリアリティに富んだ女性像が有名で、ファンも多いのですが、絵本や本の表紙では、犬や猫などの動物も数多く手がけていることで知られています。

名前:瑛九

宮崎県宮崎市

大正から昭和期を通じて活躍した画家、版画家。 1911年に生まれ、日本美術学校を卒業。1935年に中央美術展に入選して画壇デビューを飾り、1936年にはフォトグラム、1937年にはコラージュといった先鋭的な手法で注目を集めました。戦後は絵画や版画といったオーソドックスな表現方法に力を注ぎ、1951年からは埼玉県浦和市へ移住、当時の浦和画家と呼ばれた芸術家たちの代表的な存在となりました。作品の多くが宮崎県立美術館に収蔵されています。

3.宮崎県で買取されたお客様の感想

お客様住所:宮崎県都城市

品名:益田玉城 「美人画」掛け軸

ずいぶん昔から我が家に伝わる、郷土ゆかりの画家の掛け軸。ただ、共箱も何もありませんから、肉筆かどうなのかが、わかっていませんでした。そこで「SATEeee骨董品・美術品買取」さんに相談したところ、すぐに家まで来ていただいて真筆と認定。高額の査定までしていただいて、ただ驚きました。まあ、おまかせするかどうかの返事には日数がかかったのですが、その間も気分良く待っていただいて、非常に感じが良かったもの。信頼できる業者さんですね。

お客様住所:宮崎県宮崎市

品名:門脇喜平 茶釜・風炉

お茶をやっている人にとっては大切なものかもしれませんが、これを遺品代わりに渡されて、本当に困っていました。声をかけたのがWebで名前を知った「SATEeee骨董品・美術品買取」さん。高名な釜師さんの作品であるという点と、全く使っていないものという点を高く評価していただき、思わぬ査定結果がでましたから大喜び。思わず、その場で「SATEeee骨董品・美術品買取」さんにお願いすることを即決してしまいました。ありがとうございました。

お客様住所:宮崎県日向市

品名:中国景徳鎮製 「楼閣山水図粉彩瓶」

昔民宿をしていた時に、玄関に飾っていた壺です。高価なものと聞かされていましたが、今では飾る場所もありません。色々な業者に見てもらうにしても、持っていくのも大変。困っていたときに友だちから聞かされたのが「SATEeee骨董品・美術品買取」の名前。メールを送ったら、すぐに折り返し返事があって、出張査定をしてくれました。壺を遠目に見ただけで「景徳鎮」と、見抜いた眼力はさすが。たくさんの場数を踏んでいる査定士さん、高価買取ありがとうございました。

4.骨董品・美術品の買取業者一覧

5.宮崎県の人気の美術館

名前:宮崎県立美術館

場所:宮崎県宮崎市船塚3丁目210

瑛九「田園B」、山内多門「颶風」、塩月桃甫「舞子」といった、宮崎県ゆかりの芸術家の作品を数多く所蔵しているのが「宮崎県立美術館」。中でもデモクラート美術家協会などの美術運動で知られる、瑛九のコレクションは充実しており、特筆物となっています。 また、ピカソやルオー、クレー、ボナール、マグリット、デ・キリコといった高名な海外の画家たちの作品もあわせて収集、こちらも見逃すことはできません。 そして、建築家・岡田新一が手がけた建物自体も注目のポイント。岡田はこの作品で日本芸術院賞を獲得していますから、彼の代表作と呼べるものです。立地は宮崎県総合文化公園の敷地内、図書館や劇場も隣接していますから、豊かな時間を過ごすことができるでしょう。

名前:都城市立美術館

場所:宮崎県都城市姫城町7-18

中原南渓「山水図」「太刀魚図」、益田玉城「螢狩図」「楊柳観世音菩薩像」、山内多門「えびのの松林」「山形の残月」……高名な日本画家を数多く輩出している都城市。その美術の殿堂とも呼べるのが「都城市立美術館」なのですが、ここの魅力は彼らの作品を数多く収蔵しているだけではありません。 中学時代を都城市で過ごし、後に日展参与を務めた洋画家・山田新一や、宮崎県の代表的画家・瑛九、アメリカ人でダダイスト、シュールレアリストとして知られるマン・レイなど洋画も充実しているのです。 アクセスはJR都城駅からタクシーで10分、西都城駅から徒歩で10分と両方から良好。霧島神社や高千穂峰など、都城観光の際にはあわせて訪れたいスポットです。

名前:木城えほんの郷

場所:宮崎県児湯郡木城町石河内475

自然あふれる森の斜面に位置する「木城えほんの郷」は、国内外の絵本と原画を数多くコレクションしている美術館。絵本はもちろん、自由に手にとることができますから、図書館的な面も強い施設ということができるでしょう。ブックアドバイザーが常駐していますから、目的に合わせた絵本を推薦してもらえるのも、楽しいものです。 そしてユニークなのが、1棟につき5人程度が宿泊できる「森のコテージ」も併設しているところ。例えば家族づれで、日中は自然の中で楽しみ、夜は絵本三昧という、ちょっと特別な休日が、ここならば過ごせてしまいます。 コーヒーや軽食が楽しめる「森のこーひーやさん」、コンサートやお芝居がおこなわれる施設もあります。