南部鉄器を高価買取!金工品の査定ポイントを徹底解説!

1. 南部鉄器を売りたいお客様へ

南部鉄器とは、旧南部藩の城下町であった盛岡市を中心とした地域で生産されている鉄器のことを指します。鋳型に鉄を流し込んで作る鋳造の鉄器です。1975年には通商産業大臣指定伝統工芸品に指定されました。主に2種類の製法があり、大量生産するものを生型法、伝統工芸品に指定されているのは焼形法となります。鉄瓶、鍋、釜、文鎮、風鈴、農具、燭台などが生産されています。 現代でも生産されているので、近代のものは骨董品としての値はつきにくくなっています。ただし名工の手による骨董品であれば高値がつく可能性もあります。

2. 南部鉄器についての解説

南部鉄器は伝統工芸品に指定されている鉄器です。主に盛岡市と奥州市で生産されています。1959年にはこの2市による「岩手県南部鉄器協同組合連合会」が設立されました。南部鉄器と呼ばれるものは、この連合会の加盟業者によって作られています。 鋳型に溶かした金属を流し込んで作られる鋳造の鉄器となっています。1975年2月に中小産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。主に鉄瓶や鍋、風鈴、燭台などを製造しており、現在でも購入することが可能です。製造方法は2種類あり、伝統工芸品に指定されている焼型法、大量生産するものに使われる生型法があります。

3. 南部鉄器の歴史

南部鉄器は、盛岡市と奥州市にあり、それぞれ歴史が異なります。盛岡市の南部鉄器は、慶長年間に盛岡藩主であった南部氏が始めたとされています。それ以降、藩の鋳物の発注は4家(有坂家・鈴木家・小泉家・藤田家)によって担われたとされます。 奥州市の南部鉄器は、平安時代後期に藤原清衡が、現在の奥州市に近江国より鋳物師を招いて始めたのが最初とされています。近隣で質のよい砂と粘土が手に入ったことから、鋳物業が栄えることとなりました。室町時代後期には鋳物師が定住し、江戸時代初期には鋳物業が定着していったとされます。そして仙台藩の元、多くの鉄器や仏具、大砲まで鋳造しました。 明治維新以降には一旦衰退・停滞を見せますが、1908年に皇太子が東北を訪れた際に小泉仁左衛門が鉄瓶の製造を実演したことから話題を呼びました。そして県や市を挙げて南部鉄器を盛り上げる取り組みが始まったとされます。

4. 南部鉄器の代表作や作者

  • 老松釜        4代小泉仁左衛門清光 江戸時代 盛岡市指定文化財
  • 波に鯉文富士形鉄瓶  藤田萬蔵 孝保    明治時代
  • 櫛目丸形鉄瓶  15代鈴木盛久 熊谷志衣子 1991年

5. 南部鉄器の買取査定ポイント

まずいつの時代に、どの作者の手によって作られたかが重要です。近代のものでも人気のある作家の手による作品であれば、高額査定の可能性もあります。 また鉄瓶や鍋などであれば水漏れなどがなく、実際に使えるかどうかもポイントです。さらに箱などが付属していれば、さらなる高値になる可能性もあります。 代表的な査定ポイント
  • どの時代の、どの作者の手によるものであるか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 作者の署名があるか(箱書きがあるか)
  • 保存状態は良好か(箱が残っているか、水漏れなどがなく使用できるか)

6. 南部鉄器の取引相場価格

南部鉄器は現在でも数万円程で販売されており、鉄瓶や急須などは人気の商品です。そのため大量生産品ではない技法で作られた骨董品の方が高額で取引される傾向にあります。 例えば南部鉄器の金具がつけられた幅90㎝×奥行き61.5㎝×高さ176㎝の重厚な洋服タンスは約18万円の値がついています。また人間国宝の13代鈴木盛久作の鉄瓶(高さ約27cm)は、箱付きで約17万円です。ただし刻印が不明でも骨董品と思われる鉄瓶には約24万円の値がついた場合もあります。

7. 南部鉄器の買取についてのまとめ

南部鉄器は岩手県盛岡市と奥州市で現在でも生産されている伝統工芸品です。今も尚その技術が受け継がれており、丈夫なこと、鉄分補給ができることから注目を集めています。その丈夫さから鉄瓶、鍋、釜、風鈴、金具など様々なものに加工され、孫の代まで受け継げる品としても人気です。 名工の手によって作られた南部鉄器は世代を経ても色褪せることなく使用できるため、高額査定の可能性があります。