寛永通宝(かんえいつうほう)を高価買取!古銭の査定ポイントを徹底解説!
1. 寛永通宝を売りたいお客様へ
寛永通宝とは、江戸時代に広く庶民に流通した銭貨です。奈良時代・平安時代に通貨として広まった皇朝十二銭がすたれて以来、長いときを経て、再び庶民の間で使われようになった法定貨幣として、慶長通宝や元和通宝に続いて発行され、江戸時代を通して広く長く流通しただけでなく昭和時代にまで通用していました。歴史的価値があるのはもちろんのこと、皇朝十二銭の時代と比べ格段に上がった技術を目にでき、また種類もさまざまあることからコレクターの間でも人気の銭貨です。
2. 寛永通宝についての解説
形は円形で中心部には正方形の孔があり、表面には「寛永通寶」の文字が時計回りではなく、上下左右の順で刻まれています。裏面に模様や文字があり、波型のあるものは四文銭、それ以外は一文銭です。一文銭の中には、「文」「仙」「盛」「足」「長」「元」といった文字が描かれているものもあります。これによって製造地や製造年を知ることができます。また時代によって「古寛永」と「新寛永」にも分けられ、一般的には古寛永の方が希少価値は高めです。
3. 寛永通宝の歴史
皇朝十二銭以来の法定貨幣として、安土桃山時代に大判、江戸時代に小判や丁銀など造られましたが、その価値はあまりにも高すぎ、大名や公家たちの間でしか使われないものでした。庶民の間では中国からの輸入銭である永楽通宝、京銭とよばれていた民間で鋳造された私鋳銭などさまざまな銅銭が使われてきましたが、最終的に三代将軍徳川家光が寛永通宝を発行したことで初めて全国的に統一された金・銀・銅貨がそろい、全国の庶民の間で広がったといわれています。
4. 寛永通宝の希少価値
昭和時代まで使われていたことから簡単に見つかりやすく、希少価値という点からみれば残念ながら高いとはいえません。ただデザインが美しく種類も多いので、コレクターの間で人気があるものであれば、買取価格も高めになります。
また寛永通宝は1659年にいったん製造をやめており、そこを境とし「古寛永」と「新寛永」に分類され、古寛永の方が希少性は高いとされます。
5. 寛永通宝の買取査定ポイント
上述の通り、古寛永か新寛永かというポイントがひとつ。あとは字体です。字体によっては数十万円の価値になるものもあります。中でも高く取引されることで有名な字体は「二水永」と呼ばれるもので数万円の価格になるといわれています。
- 古寛永か新寛永か
- コレクターにとって人気の字体で希少性が高いか
6. 寛永通宝の取引相場価格
よく出回っていたもの、たとえば裏に文の文字があるものは文銭とよばれ数多く出回っており、標準的な字体であれば数百円程度ですが、数としては多くても字体が珍しいものであれば数万円~数十万円になることも十分あり得ます。
yahooオークションだと、数千円で出品されているものが多く、1万円を超えるものには本物保証がされ鑑定済みですと記載がありました。鑑定があると値段がつきやすい事は明らかと言えるでしょう。
7. 寛永通宝の買取についてのまとめ
江戸時代を中心に250年もの長い間作られ続けた寛永通宝なので、希少価値はそれほど高いものではありませんが、種類の多さとデザインの美しさから人気が高く、珍しい字体であれば思いがけない高値がつくこともあります。ただその字体の細かい差異を見分けるのは素人では難しいものです。
手放すことをお考えの方、そうでない方でも一度、古銭買取専門の店で鑑定を受けられることをお勧めします。
お手持ちの品物名や作者などご入力し検索をすると、品物の取引相場価格や品物情報などを閲覧する事ができます。