坂倉新兵衛を高価買取!陶芸作家の査定ポイントを徹底解説!

1. 坂倉新兵衛を売りたいお客様へ

坂倉新兵衛は、長い歴史と伝統を誇る萩焼の陶芸家です。山口県長門市湯本に開かれた窯元である坂倉新兵衛は、江戸時代には地元の地名から「深川焼」(ふかわやき))もしくは「三之瀬焼」(そうのせやき)と呼ばれ親しまれていました。萩焼と呼ばれるようになったのは明治時代以降ですが、古くから侘びを愛好する茶人が好む茶陶生産を行っており、現在でも日本の陶芸文化を代表する芸術的な作品を世に送り出しています。

2. 坂倉新兵衛についての解説

萩焼の特徴の一つに、柔らかくふっくらとした素地の質感が挙げられますが、坂倉新兵衛の作品にも萩焼の伝統的な技が活かされています。十五代坂倉新兵衛の作品は、素地となる胎土に違う色の土を合わせて模様を際立たせる象嵌(ぞうがん)技法が用いられています。萩の素朴な土味を活かし、独自の作品を作り上げている坂倉新兵衛は、使うほどに味わいの出る器が特徴的な窯元です。

3. 坂倉新兵衛の歴史

初代の坂倉新兵衛が、長門と深川(ふかわ)、そして三之瀬(そうのせ)に窯を開いたのは17世紀のことでした。慶長9年、当時の長州藩主であった大名・毛利輝元の命により毛利家の御用窯として代々作陶を行ってきた坂倉新兵衛は、朝鮮李朝陶工の初代・李勺光によって1604年に開窯されました。後に、六代目藤左衛門の時代に「坂倉」の姓を名乗るようになります。当代は1974年に作陶の世界に入り、1978年に若くして十五代目坂倉新兵衛正治として坂倉姓を襲名しました。以来、伝統的な萩焼技法と独自の表現力を盛り込んだ作陶活動を行っているほか、世界的に萩焼を広める活動を精力的に行っています。

4. 坂倉新兵衛の代表作や作者

『萩井戸茶碗』(1956年 十二代坂倉新兵衛) 『萩彫三島茶碗』(1960~1970年代 十四代坂倉新兵衛)

5. 坂倉新兵衛の買取査定ポイント

坂倉新兵衛の買取査定のポイントは、作品の状態にあるといえるでしょう。高額で価値の高い作品であるほど、コレクターたちが観賞用として収集しています。そのため、買取を希望している陶器の保存状態が良い場合には、高額買取の可能性があります。また、坂倉新兵衛の作品の中でも、長州藩の庇護がなくなり衰退の一途を辿っていた萩焼の復興に尽力し、「萩焼中興の祖」と呼ばれた十二代目の代表作は人気が高いといえるでしょう。そのため、何代目の作品であるのかも買取査定の重要なポイントになります。
  • 作品の状態の良し悪し
  • 鑑定書が付属しているか
  • 人気のある作家の代表作品かどうか

6. 坂倉新兵衛の取引相場価格

観賞用としても実用としても優れている萩焼は人気が高く、和食器の愛好家から骨董品収集家まで、さまざまな人々に愛されている陶器です。そんな萩焼の宗家である坂倉新兵衛の萩茶碗の取引相場は、作品にもよりますが約3万円~数十万円と見ることができるでしょう。例えば、十二代坂倉新兵衛の萩茶碗「深山路」は、作家自らが箱書きして作品を納めた共箱に入った保存状態の良好なもので、約8万円で取引されています。さらに、同じく十二代坂倉新兵衛の萩井戸茶碗では、共箱が二重箱になったものが22万円といった高額な価格で取引されています。また、保存状態が良い十五代坂倉新兵衛の萩茶碗は、付属品として共箱が付いたものが約9万5千円で取引されています。

7. 坂倉新兵衛の買取についてのまとめ

安土桃山時代から脈々と続く萩焼の伝統を継承する、萩焼の宗家・坂倉新兵衛。坂倉新兵衛は、萩焼の名手として現在も人気を集めています。特に、素朴な素地の色合いがほどよく枯れた味わいを醸し出す坂倉新兵衛の作品は、温もりと品の良さが表現されており、茶人をはじめ骨董品収集家たちからも愛されています。愛好者の多い萩焼の代表作家でもある坂倉新兵衛は、作品によっては高額査定が可能でしょう。