高村光雲(たかむら こううん)を高価買取!彫刻作家の査定ポイントを徹底解説!

1. 高村光雲を売りたいお客様へ

高村光雲は、1852年に生まれた日本の彫刻家・仏師です。仏師であった高村東雲に師事し、伝統的な木彫りの近代化に尽力しました。伝統的な技法に写実的表現を加えて新たな展開を図った近代日本彫刻の最初の一人と言われています。また東京美術学校木彫科の教授もつとめ、後進の育成にも尽力します。1893年に発表した「老猿」は国も重要文化財に指定されています。その業績は多岐にわたり、現在でもなお人気のある作家です。

2. 高村光雲についての解説

高村光雲は東京都出身の彫刻家です。高村東雲の弟子となりますが、明治維新後は仏師のとしての仕事はほとんどなくなったと言われています。しかし苦しい生活にありながらも木彫りに専念し、さらに西洋美術を学んだ高村光雲は、その写実性を木彫りに取り入れることを思いつきます。日本の伝統的な木彫りに新たな展開をもたらした一人とされており、日本の近代彫刻界に多大な影響を与えました。 また1889年からは東京美術学校で教授をつとめ、後進の教育にもあたった人物です。

3. 高村光雲の歴史

高村光雲は1852年に江戸下谷(現・東京都台東区)に町人の子として生まれました。1863年から仏師の高村東雲の徒弟となり、木彫りを学びます。のちに東雲の姉の養子となり。高村姓を名乗ることとなります。 明治維新後は廃仏毀釈運動の影響で、仏師のしての仕事はほとんどなく苦しい生活を送ったと言われています。しかしそんな中でも高村光雲は木彫りに専念し、また積極的に西洋美術を学ぶことで、木彫りに写実主義を加えた新たな技法を生み出しました。 1889年から東京美術学校に勤務し、翌年には彫刻家教授、同年には帝室技芸員に任ぜられます。1893年に「老猿」をシカゴ万博に、1900年には「山霊訶護」をパリ万博に出品します。そして1926年に東京美術学校を退職します。1934年、82歳で死去。

4. 高村光雲の代表作や作者

「老猿」    1893年 国重要文化財 「西郷隆盛像」 1897年 上野恩賜公園 「山霊訶護」  1900年

5. 高村光雲の買取査定ポイント

まずは高村光雲の真作であるかどうかが重要な査定ポイントです高村光雲はその人気から贋作も多く作られているためです。 また箱は残っているか、保存状態は良好か、素材は何かなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 代表的な査定ポイント
  • 高村光雲の真作であるか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 作者の署名(銘)があるか
  • 保存状態は良好か(欠けがない、箱が残っているかなど)
  • 大きさはどれくらいか

6. 高村光雲の取引相場価格

高村光雲は贋作も作られているため、鑑定書がない場合は取引相場は安めとなってしまいます。例えば白檀の「大日如来菩薩像」は約31万円の値がつきました。サイズは横12.5㎝×高さ28㎝、共箱つき、時代経過によるスレや小傷などがあります。また高さ18.0㎝×横幅最9.0cm×重量408gの「総白檀彫大日如来坐像」は約26万円です。こちらは共箱付きで、経年による微細な傷や汚れがあります。

7. 高村光雲の買取についてのまとめ

高村光雲は日本の伝統的な木彫りの技法に西洋美術の写実的表現の加え、彫刻の近代化に尽力した彫刻家です。また山崎朝雲・平櫛田中・山本瑞雲など近代日本彫刻を代表する彫刻家の師としても重要な役割をもった人物です。東京美術学校の教授でもあり、後進の育成に尽力しました。 代表作の「老猿」は国の重要文化財に指定されており、今もなお人気のある作家です。もし真作であれば高額査定の可能性もあります。