秋野 不矩(あきの ふく)を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説!

1.秋野 不矩を売りたいお客様へ

秋野不矩は1908年静岡県に生まれた日本画家です。19歳で石井林響(いしい りんきょう)に、21歳の時に西山翠嶂(にしやま すいしょう)の元へ弟子入りしました。28歳で文展監査展で入賞するなど若くから才能を発揮。戦後は新しい日本画を目指し、西洋画の画風を取り入れた独自の境地を開いています。54歳の時に大学の教授としてインドに滞在して以来その魅力にはまり、たびたびインドを訪れては風景、寺院、人物などを描きつづけました。その業績などから1999年には文化勲章を受賞しています。 そんな秋野不矩は特に人物画に定評があり、モチーフは日本にとどまらずインドの人物なども数多く残しています。独自の世界観と画風から現代でも評価されている画家の一人です。

2.秋野 不矩についての解説

秋野不矩は少女時代から美術に興味があり、19歳の時父親のすすめで日本画家の石井林響元へ入門しました。その後石井林響が病に倒れたため、21歳で西山翠嶂の「青甲社」へと入門。24歳の時に結婚、この頃から雅号を「不矩」としました。その後も子育てと両立しながら描きつづけ。28歳の時には文展で入賞。早くから実績をつみ、画家としての地位を盤石なものにしていました。 54歳の時にインドを訪れた際にその魅力に魅了され、その後たびたび現地を訪れるようになりました。またアフガニスタン、ネパール、カンボジアなどにも訪れ創作のアイデアを得ながら亡くなるまで筆を取り続けたと言われています。

3.秋野 不矩の歴史

秋野不矩は1908年7月25日に静岡県磐田郡二俣町に生まれ、本名をふくと言います。1926年に静岡県女子師範学校(現・静岡大学教育学部)を卒業後、石井林響、西山翠嶂らに師事しました。24歳で結婚後、6人の子供を育てながらも才能をいかんなく発揮。28歳で文展に入賞後も作品を描きながら、1948年には創造美術(現・創画会)を結成。1949年に京都市美術専門学校(現・京都市芸術大学)の助教授となりました。 1962年に客員教授としてインドに招かれ、1966年に教授、1974年に名誉教授となりました。退職後も絵を描きつづけ、1991年に文化功労賞を、1999年に文化勲章を受賞しています。2001年に93歳で亡くなるまで絵筆を取り続けたと言われています。

4.秋野 不矩の代表作や作者

「オリッサの寺院」  1998年 「砂上」       1936年 「渡河」       1986年 「廻廊の壁画」    1986年

5.秋野 不矩の買取査定ポイント

まずは秋野不矩本人の真作であるかどうかが大きなポイントです。真作を証明する鑑定書や証明書などがあれば高値が見込めるでしょう。 また保存状態は良いか、制作された年代やタイトルがはっきり分かっているかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。
  • 秋野 不矩 本人の真作か(鑑定書や証明書などはあるか)
  • 保存状態は良好か(箱があれば尚良し)
  • 大きさはどれくらいか

6.秋野 不矩の取引相場価格

秋野不矩の掛け軸の相場は4万円~5万円前後です。多少のシミやシワなどがあっても買取は可能です。また箱があれば9万円前後の値がつくこともあります。鑑定書や、出所がはっきりしていればもっと高値がつく可能性もあります。

7.秋野 不矩の買取についてのまとめ

晩年93歳で亡くなるまで描きつづけた日本画家、秋野不矩。自らも画家として活躍しながら、大学教授として後進の指導を精力的に行う人物でした。日本画家でありながら、定番の花鳥風月を嫌い、常に新しい境地を目指していたと言われます。また50歳を過ぎてから魅せられたインドの風景や人物などを描き、多数の作品を残しています。ダイナミックな筆使いと色合い、その独特な画風は今なお人々を魅了しています。 そんな秋野不矩は掛け軸も残しており、シンプルながらも草花なども本質的な美しさを描いた作品です。真作であることがはっきりしている、箱が残されているものなどは高額査定がつく可能性があります。