川端龍子(かわばた りゅうし)を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!

1.川端龍子を売りたいお客様へ

川端龍子は、和歌山県出身の日本画家です。大正から昭和の時代にかけて活躍した絵画作家である川端龍子は、日本画の常識を覆すほどの幅広い画風で知られています。伝統的日本画の技法を活かしつつ、奇抜な内容の作品や大衆に訴えかけるジャーナリスティックな作品を制作しました。大胆な表現で日本画壇を賑わせ、時には異端扱いされた川端龍子。しかし、1959年には絵画作家としての活躍が評価され、文化勲章を受章しました。

2.川端龍子についての解説

保守的な日本画壇の既存の概念を打ち破った川端龍子は、10歳の頃から画家になることを志していました。20代のときには新聞や雑誌の挿絵画家として活躍し、1913年には洋画の修行をするためにアメリカに渡ります。帰国後、洋画から一転して日本画の世界に入り、独学で日本画を学びました。ところが、川端龍子の大胆な発想に基づいて描かれた作品は、床の間芸術が主流だった日本画壇から会場芸術であると批判されてしまいます。しかし、一貫して大衆のための日本画を圧倒的な筆致で描き続けた川端龍子は、従来の日本画の枠組みを破るために挑戦をし続けた絵画作家だといえるでしょう。

3.川端龍子の歴史

1885年、川端龍子は和歌山県に生まれます。1895年に画家になるために上京し、白馬会洋画研究所や太平洋画会研究所で洋画を学びます。文展やそのほかの展覧会に作品を出品するかたわら、「東京パック」や「国民新聞」の挿絵を描く仕事をしました。1913年にアメリカに渡って洋画の勉強を続けます。しかし、ボストン美術館で日本画開拓の意義を見出し、帰国後は独学で日本画を学ぶようになりました。日本美術院の同人になり院展に出品した作品が度々入選しますが、保守的な日本の美術団体と折が合わず、日本美術院を脱退します。会場芸術論を唱えた川端龍子は、1928年に青竜社を創立して次々と大作を制作していきます。川端龍子は日本の文化発展に貢献した絵画作家として、1959年には文化勲章を受章されました。

4.川端龍子の代表作品

「印度更紗」1925年 「新樹の曲」1932年 「愛染」1934年 「筏流し」1959年 「天橋立図」1960年

5.川端龍子の買取査定ポイント

川端龍子は、ジャーナリスティックな作品からイラスト調の作品、そして伝統的な日本画まで幅広い画風で作品を制作しました。そんな川端龍子の作品の買取査定ポイントは、真作かどうかにあるといえるでしょう。非常に多作だった川端龍子は、生涯を通して3,000点近い作品を制作しました。そのため、贋作が出回っている可能性も十分に考えられます。鑑定書が付属しているかということのほか、作品に絵画作家の署名があるか、そして落款が絵画作家のものかどうかという点が重要な真贋の見極めポイントになります。
  • 真作かどうか
  • 鑑定書は付いているか
  • 付属品は付いているか

6.川端龍子の買取相場価格

川端龍子の作品の買取相場価格は、約2万円から20万円ほどとなっています。淡い色彩で描かれた紫陽花が美しい掛け軸の作品「後庭雨情」と題された作品は、約15万円で取引されました。こちらの作品は、共箱と鑑定書が付いた状態で出品されています。また、「嘉女」と題された亀が描かれた作品は、およそ14万円で取引されました。この作品は共箱付きで、保存状態が概ね良好な状態で出品されています。

7.川端龍子の買取についてのまとめ

川端龍子の作品を売ろうとお考えであれば、真作かどうかが重要なポイントになります。鑑定書が付いていれば真作証明済みの作品として、高額査定を期待できるでしょう。そのため、査定に出す前にしかるべき鑑定機関において鑑定書を発行してもらっておくようにすると良いかもしれません。