岡鹿之助(おか しかのすけ)を高価買取!絵画作家の査定ポイントを徹底解説!
1.岡鹿之助を売りたいお客様へ
岡鹿之助は、劇評家の岡鬼太郎の長男として生まれた洋画の絵画作家です。岡鹿之助は大正から昭和にかけて活躍し、春陽会展を主な作品発表の場としていました。顔料や画材について熱心に研究し、フランス古典主義の上に日本的な風情を漂わせる画風を確立しました。自分の作品の貧弱なマチエールを克服しようと試行錯誤し、やがて点描技法にたどり着きます。幻想的な岡鹿之助の作品は現在も多くの人に師事されています。日本洋画壇に一石を投じた功績を称えられ、1972年には文化勲章を受章しました。2.岡鹿之助についての解説
写実的な美人画で有名な岡田三郎助に師事してデッサンを学び、フランスでは藤田嗣治の指導を受けた岡鹿之助。新印象派に分類されているフランスの画家、ジョルジュ・スーラや孤高の画家といわれるオディロン・ルドンに影響を受け、細密な描写に幻想的な雰囲気を漂わせた作品を制作しました。西洋の画家たちに比べて、自分の作品表面の肌合い(マチエール)が弱いことを認めており、画材の研究や技法の研究に時間を割きます。知的な画面構成と新印象派の点描の筆致により作品を制作し、静謐で情感のこもった優れた作品を残しました。3.岡鹿之助の歴史
1898年、岡鹿之助は東京に生まれます。十代で岡田三郎助にデッサンを学び、1919年に東京美術学校に進学しました。それから6年後、フランスのパリに留学して藤田嗣治に絵を学びます。フランスでは、サロン・ドートンヌやサロン・デ・ザンデパンダンに作品を出品するなどし、マルケやアスラン、ボナールなどと交友しました。約15年間に及ぶ海外生活に終止符を打った岡鹿之助は帰国し、第18回春陽会展に出品します。以降、春陽会を中心に活躍しながらも、日本国際美術展などにも作品を出品しました。1954年に初めて個展を開催し、1964年には日本芸術院賞を受賞します。日本の文化発展に貢献した絵画作家として、1972年に文化勲章を授与されました。4.岡鹿之助の代表作品
「遊蝶花」1951年 「雪の発電所」1956年 「花と廃墟」 「三色スミレ」 「塔」5.岡鹿之助の買取査定ポイント
岡鹿之助の作品の買取査定ポイントは、真作かどうかにあるといえます。作品数がそれほど多くなく小品が多い岡鹿之助には、贋作が存在します。文化勲章を受章するほど日本で高い知名度を誇っている絵画作家ですから、贋作が作られているのは当然かもしれません。岡鹿之助の作品を高額買取してもらおうと思うのであれば、真作だと証明できる必要があるでしょう。岡鹿之助の作品は、東京美術倶楽部鑑定委員会により真贋を判断してもらうことが可能です。もしも高額査定を望んでいるのなら、鑑定書を発行してもらってから査定に臨むことができるでしょう。- 真作かどうか
- 鑑定書は付いているか
6.岡鹿之助の買取相場価格
岡鹿之助の作品の買取相場価格は、約1万円から5万円ほどとなっています。リトグラフ作品である「游蝶花」は、約5万円で取引されました。この作品は黄袋と保管用の箱が付いており、非売品として刷られたものです。また、木版画作品の「樹間の城」は、約3万円で取引されました。作品にはサインと落款が施されており、版元の印もあるため真作保証済みの作品として出品されていました。7.岡鹿之助の買取についてのまとめ
激動の時代にあった近代日本画壇において、独特な画風で君臨した岡鹿之助。穏やかで落ち着いた作品は人気がありながら、絵画買取市場には真作の数よりも贋作の数のほうが多いといえるでしょう。そんな岡鹿之助の作品を売却しようとお考えなら、鑑定書を用意することをおすすめします。リトグラフなど版画作品では高額査定を期待できないかもしれませんが、1点ものの肉筆作品で真作だと証明できれば高額査定になる可能性もあるでしょう。品物の取引相場価格を検索
お手持ちの品物名や作者などご入力し検索をすると、品物の取引相場価格や品物情報などを閲覧する事ができます。