古銭を高価買取!古銭の査定ポイントを徹底解説!
1.古銭を売りたいお客様へ
古銭は愛好家が非常に多く、日本だけでなく世界中から注目を集めています。机の中や、物置の中から、いつの時代のものかわからない紙幣や硬貨が大量に出てきた場合、数百万円単位での思わぬ高額買取が可能な可能性があるので、査定に出されることを強くお勧めします。今回は古銭の査定ポイントをまとめましたので、ご自宅に古銭をお持ちで買取をご希望される方はぜひ参考にされてください。2.古銭についての解説
古銭とは近世以前に社会で使用されていた古いお金のことで、現在では使用されていない貨幣のことを指します。一言で古銭と言っても、平安時代に使われていた古いものや、江戸時代の穴が空いたお金や大判小判、戦前戦後の紙幣や銀行券などその種類は想像以上に多いです。古銭は愛好家が多く、日本の歴史を知る上で欠かせないアイテムとして非常に人気が高い骨董品です。3.古銭を買取してもらう際の注意点
古銭を買取してもらうときに、最も注意しなければいけないのは。「古銭を洗わない」ということです。古銭は古いものだと汚れていたり、錆びていたりすることがあるため、ついついコインクリーニングをしたくなりますが、これは絶対に辞めましょう。古銭の価値は状態によって大きく左右されます。サビを取って綺麗にするつもりが数万円単位で査定額が変わってしまったり、価値のあるはずの物がガラクタになってしまうことがあるので注意しましょう。4.古銭の種類
4-1.「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」の特徴と買取相場価格
富寿神宝は、弘仁9年、818年に日本で鋳造された古銭で、コレクターに人気の高い皇朝十二銭の5番目の古銭です。直径23mmほどの円形の中央に四角い穴が空いているのが特徴で、表面には時計周りに富寿神宝と刻まれており、裏面の表記は無紋です。重量は3gほどの銅貨です。 皇朝十二銭は愛好家が非常に多い古銭であり、富寿神宝は他の時代のものに比べると状態がよく、文字が判別できるものも多いため、高額買取が期待できます。富寿神宝の標準銭は5万円ほどですが、富寿神宝の大様寿貫だと、100万円を超える買取価格になることも珍しくありません。4-2.「長年大宝(ちょうねんたいほう)」の特徴と買取相場価格
長年大宝は、嘉祥元年(西暦848年)に日本で鋳造・発行された銭貨で、皇朝十二銭のうちの一つです。直径は2センチほどの円形をしていて、正方形の穴が空いているのが特徴です。文字は時計周りに長年大宝と刻まれていて、裏は無紋となっています。長年大宝1枚に対し、旧古銭10枚という交換比率が設定されて流通したと考えられています。古銭の中では細分が難しいといわれている長年大宝ですが、状態がいいものであれば、標準銭で20万円ほど、長年大宝大様だと50万円以上の買取価格になることが多いようです。4-3.「饒益神宝(じょうえきしんぽう・にょうやくしんぽう)」の特徴と買取相場価格
饒益神宝は貞観元年(西暦859年)に日本で鋳造された古銭で、皇朝十二銭の一つです。丸い古銭に四角い穴が相手おり、時計周りに饒益神宝と刻まれ、裏面は無紋なのが特徴です。銭文が読めないような質の悪いものが多く、判読できるものは貴重とされています。饒益とは、「じょうえき」と読めば豊かにものがあることを意味し、「ニョクヤク」と読めば仏教の言葉で、人にものを与えるという意味になるのだそうです。饒益神宝は皇朝十二銭の中で現存するものがもっとも少ないのため、専門知識を持った鑑定士に鑑定を依頼する必要があります。饒益神宝は、標準銭で状態のいいものだと200万円以上の買取価格がつきます。これは皇朝十二銭の中でも最高レベルの買取価格です。必ずいくつかの業者は鑑定士に査定を依頼するようにしましょう。4-4.「貞観永宝(じょうがんえいほう)」の特徴と買取相場価格
貞観永宝は、平安時代に日本で鋳造された銅貨の一つで、皇朝十二銭の中の9つ目となる銅貨です。皇朝十二銭は、山口県の長門にある国営の銅山から採掘された銅を使用して鋳造されていましたが、貞観永宝を作る時期には鉱山から産出された銅は農民の雑器に使用されていたこともあって銅が不足していました。そのため、貞観12年に初めて鋳造されたものと貞観14年に鋳造されたものを比べると、後者の方が大きさが小さくなっています。貞観永宝はコレクターズ古銭として皇朝銭愛好家にも人気が高い古銭です。状態のいいものであれば、10万円ほどで取引されています。4-5.「寛平大宝(かんぴょうたいほう)」の特徴と買取相場価格
寛平大宝は寛平2年、西暦890年頃、奈良時代から平安時代にかけて鋳造された、皇朝十二銭の中で、10番目に鋳造された銅貨です。 大きさは、直径19センチとやや小さめで、時計回りに「寛平大宝」と刻まれています。この時期は銅が不足していたため改鋳を繰り返して鋳造していたため、物によって価値が大きく異なります。寛平大宝は皇朝銭として人気が高く、方冠の大字のものは40万円ほど、状態の良い標準銭は7万円前後で取引されています。4-6.「延喜通宝(えんぎつうほう)」の特徴と買取相場価格
延喜通宝は、寛平大宝の発行から17年後の、延喜7年(907年)に日本で鋳造・発行されたお金で、皇朝十二銭の一つです。表側には延喜通宝と時計周りに記されていますが、延喜通宝は鉛が多く含まれて品質が悪いため判読できないものもたくさん存在します。人気の高い皇朝十二銭の一つではありますが、およそ50年もの間鋳造され続けた貨幣なので、現存数が非常に多く、希少価値はそこまで高くありません。状態がよく、文字が判読できるもので、3万円ほどで取引されることが多い古銭です。4-7.「乾元大宝(けんげんたいほう)」の特徴と買取相場価格
乾元大宝は皇朝十二銭の中でも、最後の通貨として知られており、西暦958年の村上天皇の時代に鋳造された古銭です。表面には時計周りに乾元大宝の文字が刻まれており、裏面は無紋です。重さは2.5gほどで、主な素材は銅で作られています。乾元大宝1枚で旧銭10枚と交換されていたと考えられています。分析してみると、鉛が75パーセントを占めているなど品質が低いものが多く、文字が読めないものも少なくありません。そのため流通はには非常に狭かったのではないかと言われています。乾元大宝は状態によって非常に差がありますが、標準銭で30万円ほど、乾元大寶 接郭だとなんと180万円ほどの価格で取引されている、プレミアムな古銭です。4-8.「大世通宝(たいせつうほう)」の特徴と買取相場価格
大世通宝は1454年、琉球王国の国王だった尚泰久が発行した琉球王国独自の通貨です。大世通宝という名前は、尚泰久の神号である「大世主」から採用されています。この銅銭は中国・明との貿易の際に使用された永楽通宝を元に作成した鋳形で鋳造されたため、「大世」と「通宝」という文字の書体の雰囲気が異なるという特徴があります。琉球三古銭の一つですが、買取事例は非常に少なく、専門知識をもつ業者に買取査定を依頼する必要があります。4-9.「洪武通宝(こうぶつうほう)」の特徴と買取相場価格
洪武通宝は、中国・明の時代(日本の室町時代)に鋳造されていた中国の古銭です。洪武とは、明の洪武帝に由来しています。日明貿易が盛んだった日本では、寛永通宝が鋳造されるまでの間、洪武通宝を渡来銭として利用してきました。丸い貨幣に四角い穴が開いており、洪武通宝という文字が縦・横に読めます。洪武通宝はバリエーションが非常に豊かで、裏面は通常無紋ですが、物によっては北京、浙江、江西、広東、福建などの鋳造された場所が裏面に刻印されているものもあります。流通数が多く、現存するものも多いため、希少価値はそれほど高くなく、8万円前後で取引されています。4-10.「永楽通宝(えいらくつうほう)」の特徴と買取相場価格
永楽通宝は1411年に中国の明で鋳造された古銭です。日本には日明貿易によってもたらされました。名前は明の永楽帝に由来しています。慶長13年に、江戸幕府より通用禁止令が出されて、表向きは使用が禁止されていますが、庶民の間では寛永通宝に混じって使用されていたと言われています。永楽通宝は、織田信長が旗印に採用したことでも知られており、愛好家に人気が高い古銭でもあります。永楽通宝もバリエーションに富んでいるので中にはプレミアムとなっているものも存在します。永楽通宝の銅銭は1万円前後の買取価格になることが多いようですが、永楽通宝の打製背桐の金貨は180万円の高額査定になることもあります。永楽通宝という文字が判読できたら、ぜひ信頼できる鑑定士に査定を依頼するのをお勧めします。4-11.「天正菱大判金(てんしょうひしおおばんきん)」の特徴と買取相場価格
天正菱大判金は、かの豊臣秀吉公が1588年に鋳造させた大判金で、なんと世界に6枚しか存在していない非常に価値が高い金貨です。 現存する6枚のうち、5枚は世界の博物館で所蔵されており、残り1枚は、2015年にスイスで行われたオークションに出品され、1億円を超える価格で落札されています。天正菱大判金は素材が金であることもさることながら歴史的な価値、希少価値の高さが相まって、非常に価値のある金貨となっています。 もし新たに発見された場合はその価値は1億円以上ともいわれている、まさに夢のあるお宝古銭です。4-12.「天正長大判金(てんしょうながおおばんきん)」の特徴と買取相場価格
天正長大判金もまた、豊臣秀吉が鋳造した金貨で、世界最大の金貨と言われています。縦の長さがなんと17センチと、女性の手のひらほどもある大判の金貨は、豊臣秀吉が聚楽第で金賦りした際に用いられらたという逸話が残っており、秀吉の羽振りの良さが伺えます。現在の価値は数千万円ほどと言われており、天正菱大判金ほどではありませんが非常に価値のある大判金貨です。4-13.「明暦大判金(めいれきおおばんきん)」の特徴と買取相場価格
明暦大判金は1658年、明暦4年に鋳造された大判金です。実はこの明暦大判金の誕生には、江戸の火事が関係しているとされています。江戸時代、明暦3年に起きた明暦の大火は、江戸の街の大半を焼き尽くし、幕府のご金蔵も大きな被害を受けました。そのために、大火で溶けてしまった金や銀を鋳造し直す必要が生じ、その際の鋳造されたのが明暦大判金と呼ばれています。古銭の面白いところはこのように歴史上のできごとが、ふわりと現実に伝わってくるところとも言えます。金の大判なのでもちろん価値は非常に高く、もし新たに発見されれば、1300万円ほどの価格で取引されると言われています。素材としても美術品としても、歴史の逸話としても魅力のある大判金です。4-14.「二字宝永(にじほうえい)」の特徴と買取相場価格
二字宝永とは、1707年、宝永通宝の発行に先立ち、試しに鋳造された古銭です。表面の左右に「宝永」の二文字が刻まれているため、二字宝永と呼ばれています。背面には上下左右に「万代通用」と刻まれています。二字宝永は試しに作られたものなので、現存する枚数も非常に少なく、価値のある古銭としてコレクターに人気があります。現在では25万円ほどの買取価格で取引されています。4-15.「元和通宝(げんなつうほう)」の特徴と買取相場価格
元和通宝は謎が多い銅銭として知られています。江戸時代の元号である元和を銭名とした銅銭ですが、正式な鋳造記録は残されておらず、幕府によって作られたのか、はたまた発行目的はなんだったのかなどが全て謎に包まれています。銅銭と銀銭が存在しますが、慶事記念用だったと考えられています。全体的に現存数は非常に少なく、試鋳銭だったのではないかとも言われており、謎は深まるばかりです。ただ、数が少ないため希少価値が高く、現在での価値は非常に高くなっています。取引相場価格は35万円ほどとなっています。4-16.「筑前通宝(ちくぜんつうほう)」の特徴と買取相場価格
筑前通宝は、福岡藩によって1863年頃に鋳造されていた古銭で、天保通宝によく似た小判型の穴銭です。江戸幕府から地方銭としての許可をもらうことができなかったため、試鋳銭としてのみの鋳造となったため、現存数が非常に少なく、とても貴重な古銭となっています。その希少性の高さからレプリカも多く存在しているため、査定に出す時には注意が必要です。本物だった場合、60万円ほどの買取価格がつく可能性があります。4-17.「慶長通宝(けいちょうつうほう)」の特徴と買取相場価格
慶長通宝は、江戸時代に流通していた永楽通宝に変わるものとして1606年(慶長11年)に誕生した銭貨です。円形の銭貨に慶長幕府によって一から製造した鋳形によるものと、永楽通宝から永楽の文字を削り取って改造した型を使用した私鋳銭が存在し、その鋳造方法や書体などによっては古銭として非常に大きな価値があります。現代でも非常に人気のある古銭ですが、そこまで希少価値は高くなく、8万円前後で取引されることが多いようです。4-18.「安政二朱銀(あんせいにしゅぎん)」の特徴と買取相場価格
二朱銀は、江戸時代に鋳造された長方形をした銀貨です。1859年頃に発行されていました。長方形の表面には二朱銀と刻まれており、裏面には、銀座常是と刻まれているのが特徴です。二朱銀の中でも特に表面に二朱銀と書かれている安政二朱銀は横浜港でのアメリカとの貿易に置いてドル通貨と引き換えるために鋳造されたものです。しかし、この長方形の銀貨はアメリカには受け入れられず、二朱銀が通貨として通用していた期間はわずか22日間と非常に短いものでした。鋳造自体も4ヶ月で終了したため希少性が高く、高値で取引されています。この逸話から安政二朱銀は、別名「貿易二朱銀」とも呼ばれています。20万円前後で取引が行われることが多いようです。4-19.「元禄二朱判(げんろくにしゅばん)」の特徴と買取相場価格
元禄二朱判は江戸時代元禄10年(1697年)に鋳造された長方形の非常に小さな金貨です。長方形のをしており、表面には、桜の花と「二朱」の文字が刻まれているのが特徴です。発行年によって、元禄・天保・万延の3種類が存在しましたが、時代によってどんどん小型化し、最後に鋳造された万延二朱判の重量は元禄二朱判の3分の1ほどになっていたのだそうです。元禄二朱判は小型ですが、素材は金であり、高額査定が期待できます。 元禄二朱判は、25万円前後で取引されていますが、元禄二朱判の逆打となると一気に値段が上がり80万円ほどの買取価格がつくこともあります。4-20.「天保小判(てんぽうこばん)」の特徴と買取相場価格
天保8年、1837年。江戸時代で鋳造された8番目の小判として知られているのが天保小判です。小判は古くから鋳造されてきましたが、天保小判の時代になると、ローラーで金を伸ばす作業が行われるようになりました。鋳造技術の発達によってより美しい小判を作ることができるようになったのです。 天保小判は、背面に打刻される印の組み合わせによって縁起物としても人気が高く、殿方へ献上する小判には意図的に「大吉」と刻印を入れていたものもあります。大吉の刻印がある小判は現代でも非常に価値が高いとされ、高値で取引されています。一般的な天保小判は、15万円ほどで買取されることが多いようです。ただ、先ほどご紹介した献上小判の場合は一気に価値が跳ね上がり、70万円ほどで買取されるケースもあります。4-21.「正徳小判(しょうとくこばん)」の特徴と買取相場価格
正徳小判は、1714年、正徳4年に鋳造された金の小判です。正徳小判が発行される前は、荻原重秀の政策によって大量に鋳造された低品位の小判が世の中に蔓延っていました。そのため新井白石は、この低品質の小判を回収し、家康の持っていた理念に沿って高品位の金貨を鋳造するのを目的に正徳小判を鋳造します。しかし、実際にはより高品位である後期の慶長小判の品位には足りず、悪評がたちわずか4ヶ月で改鋳となってしまいました。 このため、正徳小判は数が少なく大変希少です。現代では、さらに正徳小判が叶わないとされた慶長小判の価値を超えた230万円ほどの買取価格がつくことも珍しくありません。古銭の価値は希少価値に大きく左右されます。4-22.「慶長小判(けいちょうこばん)」の特徴と買取相場価格
慶長小判は、関ヶ原の戦いの翌年、1601年に鋳造されたと言われている小判です。関ヶ原の戦いの翌年ということはつまり、江戸幕府の誕生とともに誕生した小判ということになります。慶長小判は江戸時代に作られた小判の中でもっとも大型で金の純度が非常に高い高品質な小判としても知られています。表面に刻まれているござ目にはいくつかのバリエーションがあり、それによって鋳造年を知ることができます。慶長小判は愛好家の中でも非常に人気の知名度の高い小判です。鋳造年や状態など、ものによって金額は左右しますが、1枚150万円前後で取引されています。4-23.「旧兌換銀行券 大黒1円(きゅうだかんぎんこうけん だいこく1えん )」の特徴と買取相場価格
日本銀行券は、明治15年(西暦1882年)に発行された日本で初めての中央銀行による紙幣です。お札の正面に大黒様が描かれていることから、古銭愛好家から「大黒札」と呼ばれて親しまれています。日本銀行が発行した紙幣なので、現在も額面通り一円の価値はあります。しかし、旧兌換銀行券 大黒1円札はプレミアム古銭となっており、非常に高値で取引されています。現在の価値は4万円ほどとなっています。4-24.「明治通宝(めいじつうほう )」の特徴と買取相場価格
明治通宝は、明治5年、1872年に明治政府によって発行された紙幣です。明治通宝は、当時の最先端の印刷技術を利用してドイツで印刷された紙幣なので、別名「ゲルマン札」とも呼ばれています。明治通宝は現代のお金のように、10銭から100円まで9種類の額面が存在しましたが、高額紙幣である100円札と50円札は未だかつて古銭市場に出回ったことはなく、もし発見されれば数千万円の価値があるのではと言われています。明治通宝は、10銭札が40000円、二十銭が8000円、半円は12000円、一円が1万円、二円が7万円、五円が25万円ほどで取引されています。このように金額によって価値が大きく異なるため、専門知識を持った鑑定士に査定を依頼するのがおすすめです。4-25.「一銭銅貨(いっせんどうか)」の特徴と買取相場価格
一銭銅貨は、明治4年に制定された新貨条約によって、補助銅貨として作られることになった古銭です。明治6年、1873年に銅貨製造所が完成すると、一銭銅貨は以前とはデザインが変更されて、二銭、半銭、一厘銅貨とともに製造されるようになりました。しかし補助銅貨を作る試みは、試作だけの試みとなり、一銭銅貨が流通することはありませんでした。現在では20万円前後で取引が行われています。5.古銭の取り扱い方
古銭の扱いに慣れていない方がやってしまいがちな問題として、古銭に素手で触れてしまうというのがあります。人の手からは油が分泌されているため、これが古銭につくことで変色などの劣化を進めてしまいます。古いコインであれば触れたことで劣化し破損や欠損を起こすことも珍しくありません。6. 古銭の保管方法
古銭の保管方法では、注意点があります。一つ目は、空気に触れさせないこと。古泉は金属でできているため、空気に触れることで酸化などを引き起こし、劣化が進んでしまいます。古銭を保管するときには空気に触れさせずに硬貨フォルダーなどの容器にいれて保存するようにしましょう。また、直射日光があたらない引き出しの中に入れるようにしましょう。7. 古銭の歴史
我が国日本でもっとも古いお金は、708年、奈良時代に鋳造されたあの有名な「和同開珎」だというのが今までの定説でした。しかし近年、683年に鋳造された「富本銭」が奈良県より出土し、大きなニュースとなりました。どの古銭が日本最古かという議論に未だ決着は付いていませんが、古銭の研究は引き続き行われています。人々の生活に欠かすことができないお金である古銭は、私たちを当時のリアルな歴史に誘ってくれる魅力溢れる骨董品です。8.代表的な古銭の一覧
皇朝十二銭 / 寛平大宝 / 貞観永宝 / 神功開宝 / 隆平永宝 / 万年通宝 / 乾元大宝 / 承和昌宝 / 饒益神宝 / 富寿神宝 / 延喜通宝 / 長年大宝 / 和同開珎 / 寛永通宝 / 下野国足尾銭 / 正字背文 / 小梅銭 / 石ノ巻銭 / 芝銭 / 水戸銭 / 二水永 / 文銭 / 浅草銭 / 天保通宝 / 薩摩藩 横郭 仰冠當 / 水戸藩鋳銭 短足寳 / 高知藩 / 本座 長郭 / 秋田藩 広郭 / 文久永宝 / 攵久永寳 草文 / 文久永寶 真文 / 攵久永宝 略宝 / 叶手元祐 / 咸豊通宝 / 淳熙元宝 / 太平通宝 / 二字宝永 / 貞享通宝 / 元禄開珍 / 朝鮮通宝 / 元和通宝 / 慶長通宝 / 皇宋通宝 / 洪武通宝 / 開元通宝 / 寳永通寳 / 元和通寳 / 永楽通宝 / 鐚銭 / 藩札 越前福井藩 / 太政官札 / 裏猪十円 / 分銅五円 / かじや5円 / 水平1円 / 大黒1円 / 明治通宝 / 神功皇后1円 / 靖国50銭 / 岩倉旧500円 / 聖徳太子1万円 / 二宮1円 / 裏赤200円 / 10銭 / 大正武内5円 / 昭和政府紙幣 / B20円券 / A1円券 / 乙号5円 / 丙号1円 / シベリア出兵軍票 / 日露戦争軍票 / 日華事変軍票 丁号券 / 一分金 / 二分金 / 元禄二朱判 / 真文二分判 / 文政一朱金 / 慶長一分判 / 一分銀 / 二朱銀 / 安政一朱銀 / 天保一分銀 / 大判 / 天保大判 / 大仏大判 / 天正菱大判金 / 天正長大判金 / 慶長大判 / 明暦大判金 / 慶長笹書大判金 / 元禄大判金 / 享保大判金 / 万延大判金 / 天保大判金 / 小判 / 駿河墨書小判 / 武蔵墨書小判 / 天保小判 / 正徳小判 / 万延小判 / 享保小判 / 慶長小判 / 宝永小判 / 元禄小判 / 元文小判 / 文政小判 / 安政小判 / 銀判 / 盛岡銀判 八匁 / 盛岡銀判 七匁 / 秋田銀判 九匁二分 / 秋田銀判 四匁六分 /9. 古銭の買取査定ポイント
- 本物の小判は超高額査定の可能性あり。
- 鋳造年数が少なかったり、試鋳品としてお蔵入りになり世の中に出回ることのなかった古銭は希少価値が高くなり、高額で取引されることがあります。
- 同じ古銭でも文字が判読できる、裏面に刻印があるなどの違いによって査定額が大きく異なることがあります。
- 金や銀を使ったものは、その純度も査定に大きく関わります。
- 古い紙幣は、破れ、汚れがないか、文字が判読できるかどうかが査定に影響します。
- 明治・大正・昭和など比較的近年の古銭は完全未使用のものが最も価値が高くなっています。
10. 古銭の取引相場価格
古銭の取引相場価格は幅が広いのが特徴です。数百円のものから、1枚で数千万円の価値があるものも存在します。しかも、それが見た目の美しさ、素材だけでは決められないというのが古銭の面白い所です。例えば小判の中では比較的手に入りやすい天保小判は、1枚15万円ほどで取引されていますが、これが裏面に「大吉」などの刻印が入った献上小判だといっきに70万円ほどに価値が跳ね上がるのです。そのため、確かな知識と鑑定眼を持ったプロに査定を依頼する必要があります。11.古銭の買取についてのまとめ
古銭の価値や買取についてご紹介しました。古銭の中には数百万円、数千万円の査定額がつくものも特に珍しくありません。また古銭の魅力の一つは、そのお金が作られた時の社会情勢であり、政治局面であり、人々の生活を知ることができることです。高額査定がつきやすいのは何と言っても小判ですが、古い紙幣や穴が空いたたくさんの小銭なども数万円、数十万円の価値がある可能性があります。古銭の種類は想像以上に多く、金額によって査定額や市場価値も大きく異なるため、査定は専門的知識を持つ業者に依頼することをお勧めします。品物の取引相場価格を検索
お手持ちの品物名や作者などご入力し検索をすると、品物の取引相場価格や品物情報などを閲覧する事ができます。